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東京高等裁判所 平成6年(行ケ)264号 判決

北海道札幌市中央区北3条西1丁目2番地

原告

大同ほくさん株式会社

同代表者代表取締役

青木弘

同訴訟代理人弁理士

西藤征彦

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 荒井寿光

同指定代理人

原健司

主代静義

花岡明子

関口博

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

「特許庁が平成5年審判第12544号事件について平成6年9月28日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

訴外大同酸素株式会社は、昭和61年4月5日、名称を「三フッ化窒素ガスの処理方法およびその装置」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(昭和61年特許願第78863号)をしたところ、平成2年7月9日特許出願公告(平成2年特許出願公告第30731号)されたが、特許異議の申立てがあり、平成5年3月3日拒絶査定を受けたので、同年6月17日審判を請求した(平成5年審判第12544号事件)。

原告は、平成5年6月30日同訴外会社を吸収合併し、これに基づく特許出願人の名義変更を同年9月30日特許庁長官に対し届け出た。

原告は、平成5年7月19日付け手続補正書をもって明細書の一部を補正した(以下「本件補正」という。)が、特許庁は、平成6年9月28日、「平成5年7月19日付けの手続補正を却下する。」との決定とともに、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をなし、その謄本は同年11月10日原告に送達された。

2  本件補正後の特許請求の範囲第1項

三フッ化窒素ガスNF3を含有する排ガスを不活性ガスで10~30%に希釈した後、活性炭、木炭等の炭素塊と反応温度300~600℃で反応させ、毒性のないCF4ガスとN2ガスに変えることを特徴とする三フッ化窒素ガスの処理方法。

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は、出願公告された明細書と図面の記載からみて、その特許請求の範囲第1項及び第4項に記載されたとおりの三フッ化窒素ガスの処理方法及び三フッ化窒素ガス処理装置にあるものと認められるところ、その第1項に記載された発明(以下「本願第1発明」という。)は、次のとおりである。

「三フッ化窒素ガスNF3を含有する排ガスを活性炭、木炭等の炭素塊と反応温度300~600℃で反応させ、毒性のないCF4ガスとN2ガスに変えることを特徴とする三フッ化窒素ガスの処理方法。」

(なお、本願明細書について、平成3年5月27日付けでなされた手続補正は平成5年3月3日付けで却下され、さらに平成5年7月19日付けでなされた手続補正は本審決と同日付けで却下されたので、要旨は上記のとおり認定した。)

(2)  これに対して、フランク・ジェイ・ピサケン及びエドワード・バルーディ著「NITROGEN TRIFLUORIDE:ITS CHEMISTRY,TOXITY,AND SAFE HANDLING」(ナバル・サーフェス・ウエポンズ・センター(バージニア州、米国、1976年11月12日発行、1~23頁)(以下「引用例」という。)には、

「V.B.木炭又は金属との反応による処理

NF3の木炭との反応は下記した反応式で示される。

4/3NF3+C=2/3N2+CF4、△H=135.7Kcal/mole(538.4BTU/mole)

この反応を経由するNF3の処理は高い発熱反応を伴うが、熱伝達率の優れた流動床を使うことによって実現できる。同様の技術はフッ素ガスの処理としても実証されている。しかしながら、このNF3と炭素との反応の重大な問題は極めて毒性で危険な中間物N2F4の生成である。GouldとSmithは流動木炭床において、400℃でNF3の75%がN2F4に変換したと報告している。温度を500~600℃に昇温することにより反応を、よりN2形成の方にシフトさせることができる・・・」(20頁38行~21頁8行)旨記載されている。

(3)  そこで、本願第1発明と引用例に記載された発明とを対比すると、両者は、「三フッ化窒素ガスの処理方法において処理するガスを木炭等の炭素と反応温度300~600℃で反応させ、毒性のないCF4とN2ガスに変えること」とした点で一致するが、両者は処理するガスとして、前者がNF3を含有する排ガスとしたのに対し、後者ではNF3としている点で相違している。

(4)  そこで、前記相違点について検討する。

引用例に記載の発明は、NF3を炭素と反応させることにより無毒化させるものであるから、当業者であれば、NF3を含有する排ガスを炭素と反応させれば、無毒化できるものと想到するのに格別の困難性があるとは認められず、処理するガスとして本願第1発明のようにNF3を含有する排ガスに適用することは当業者であれば、容易になし得ることにすぎない。

そして、本願第1発明の奏する効果も当業者が予測できる範囲のものにすぎない。

(5)  したがって、本願第1発明は、引用例に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点(1)のうち、本願第1発明の要旨の認定については争い、その余は認める。同(2)は認める。同(3)のうち、「前者(本願第1発明)がNF3を含有する排ガスとした」との点は争い、その余は認める。同(4)のうち、審決認定の相違点の判断については認めるが、その余は争う。同(5)は争う。

審決は、本願第1発明の要旨の認定を誤って、引用例記載の発明との相違点を看過し、その結果、本願第1発明の進歩性の判断を誤ったものであるから、違法として取り消されるべきである。

(1)  審決は、本件補正に対してなされた補正却下の決定を前提として、本願第1発明の要旨を上記3(1)のとおり認定したものであるが、以下述べるとおり本件補正却下の決定は誤りであるから、上記要旨の認定は誤りである。

本件補正は、出願公告された明細書(甲第3号証)に記載された特許請求の範囲第1項について、NF3を含む排ガスに関し、その濃度を10~30%と減縮したものであるが、本件補正却下決定においては、上記濃度の限定は、出願公告時の特許請求の範囲に記載された発明と目的を異にするから、本件補正は特許請求の範囲の変更に該当するものであるとされている。

しかし、上記濃度の限定は、NF3を効果的に分解して無毒化するための最適な条件を規定するものである。すなわち、出願公告明細書(甲第3号証)には、本願発明の目的として、「有毒なNF3を無害なCF4とN2ガスに変換して処理する」(3欄12行)と記載されている。そして、NF3の濃度に関しては、NF3を無害なCF4とN2ガスに変換する化学式が記載され(3欄36行)、この化学式に関して、「NF3の濃度は、低濃度から100%の濃度まで処理が可能であるが、上記の反応は発熱反応であるので、高濃度のNF3を処理する場合は反応温度を制御するのが困難となる。したがって、反応温度の制御の観点から、処理すべきNF3の濃度は、10~30%とするのが望ましい。」(3欄末行ないし4欄5行)と記載されている。すなわち、NF3を含む排ガスの濃度を10~30%にすることは、本願発明の目的である「有毒なNF3を無害なCF4とN2ガスに変換する」のに最適な条件を示しているのであって、本願発明と目的及び効果を異にするものではない。本件補正は、単に有毒なNF3を無害なCF4とN2ガスに変換するのに最適な条件になるように補正したにすぎない。

このように、本件補正は、特許請求の範囲を実質上変更するものではなく、特許請求の範囲を減縮するものである。

したがって、本件補正却下決定は誤りであり、本件補正は容認されるべきものであって、本願第1発明の要旨は、本件補正後の特許請求の範囲第1項に記載の「三フッ化窒素ガスNF3を含有する排ガスを不活性ガスで10~30%に希釈した後、活性炭、木炭等の炭素塊と反応温度300~600℃で反応させ、毒性のないCF4ガスとN2ガスに変えることを特徴とする三フッ化窒素ガスの処理方法。」にあるから、本願第1発明の要旨についての審決の認定は誤りである。

(2)  本願第1発明の要旨は上記のとおりであるから、この補正後の発明と引用例記載の発明とは、〈1〉前者では、処理対象がNF3ガスを含有する排ガスであるのに対し、後者は排ガスを含まないNF3である点、〈2〉前者では、NF3ガスを含有する排ガスの濃度が10~30%であるのに対し、後者にはその記載がない、という相違点が存することになるが、審決は上記〈2〉の相違点を看過している。そして、上記〈2〉の相違点に伴い、補正後の発明では、ランニングコストが非常に安く、工業的生産規模の処理に適するという効果が得られるのに対し、引用例のものでは、このような工業的生産規模の処理は不可能である。

上記のとおり、補正後の発明は、引用例記載の発明とは上記のような異なる構成によって、引用例では得られない作用効果を奏するものであり、当業者が引用例から容易に発明できたものではない。

第3  請求の原因に対する認否及び反論

1  請求の原因1ないし3は認める。同4は争う。本件補正却下決定に原告主張の誤りはなく、審決の認定、判断は正当である。

2  反論

本願の出願公告時の発明は、有毒なNF3を無害なCF4とN2ガスに変換して処理することを目的とし、NF3を含有する排ガスを活性炭、木炭等の炭素塊と反応温度300~600℃で反応させるものであって、NF3を含有する排ガスを不活性ガスで希釈することをその構成要件としていない。

これに対して、本件補正後の発明は、NF3を含有する排ガスを炭素塊と反応させる前に排ガス中のNF3濃度を不活性ガスで10~30%に希釈するものであって、このようにすることにより、出願公告時の発明の「有毒なNF3を無害なCF4とN2ガスに変換して処理する」という技術課題(目的)に、「NF3を炭素塊と反応させるに際し、反応温度を制御する」という新たな目的を付加し、その結果、その高熱伝導性による温度の暴走を防ぐ効果を有するものであり、補正後の発明は出願公告時の発明とはその具体的目的を異にするものである。

したがって、本件補正は、実質上特許請求の範囲を変更するものであるから、本件補正却下の決定に誤りはなく、同決定を基になされた審決の認定、判断は正当であって、原告の主張は失当である。

また、上記のとおり、本願第1発明と引用例記載の発明との間には、原告主張の相違点は存しないから、同相違点の存在を前提とする原告の主張は失当である。

第4  証拠

本件記録中の書証目録記載のとおりであって、書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。

理由

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本件補正後の特許請求の範囲第1項)及び同3(審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。

そして、審決の理由の要点(1)のうち、本願第1発明の要旨の認定を除くその余の部分、同(2)(引用例の記載事項)、同(3)(本願第1発明と引用例記載の発明との対比)のうち、「前者がNF3を含有する排ガスとした」との点を除くその余の部分、同(4)(相違点の判断等)のうち、審決認定の相違点の判断部分についても、当事者間に争いがない。

2  そこで、原告主張の取消事由の当否について検討する。

(1)  本願の出願公告時の特許請求の範囲第1項は、「三フッ化窒素ガスNF3を含有する排ガスを活性炭、木炭等の炭素塊と反応温度300~600℃で反応させ、毒性のないCF4ガスとN2ガスに変えることを特徴とする三フッ化窒素ガスの処理方法。」であるのに対し、補正後の特許請求の範囲第1項は、「三フッ化窒素ガスNF3を含有する排ガスを不活性ガスで10~30%に希釈した後、活性炭、木炭等の炭素塊と反応温度300~600℃で反応させ、毒性のないCF4ガスとN2ガスに変えることを特徴とする三フッ化窒素ガスの処理方法。」というものであって、補正後の特許請求の範囲第1項は、出願公告時のものに「不活性ガスで10~30%に希釈した後、」という構成要件を付加したものである。

ところで、本願発明の出願公告明細書(甲第3号証)には、発明の詳細な説明中の〔発明が解決しようとする問題点〕の欄に「本発明は、NF3ガスの稀釈処理法の問題点を解決すべくなされたもので、有毒なNF3を無害なCF4とN2ガスに変換して処理するものである。」(3欄11行ないし13行)と、〔発明の効果〕の欄に「本発明によれば、常温で非常に安定で毒性の高いNF3を毒性のないガスに変換させることが可能となった。」(6欄41行ないし43行)とそれぞれ記載されていることが認められ、これらの記載によれば、本願発明の目的は、有毒なNF3を無害なCF4とN2ガスに変換する点にあるものと認められる。

次に、出願公告明細書(甲第3号証)の発明の詳細な説明中の「NF3の濃度は、低濃度から100%の濃度まで処理が可能であるが、上記の反応は発熱反応であるので、高濃度のNF3を処理する場合は反応温度を制御するのが困難となる。したがって、反応温度の制御の観点から、処理すべきNF3の濃度を10~30%とするのが望ましい。」(3欄末行ないし4欄5行)との記載によれば、本件補正によって付加された「不活性ガスで10~30%に希釈した後、」という構成要件、すなわち、NF3を含有する排ガスを炭素塊と反応させる前に排ガス中のNF3濃度を不活性ガスで10~30%に希釈するという構成は、三フッ化窒素ガスNF3を処理する場合の反応温度を制御するという目的を有するものと認められる。

(2)  ところで、補正により、出願公告時の特許請求の範囲に新たに構成要件が付加されたことによって、出願公告時の発明の目的・効果とは別個の新たな目的・効果をもたらすような場合には、当該補正は、特許法17条の3第2項(平成5年法律第126号による改正前のもの)が準用する同法126条2項(同上)の「実質上特許請求の範囲を変更するもの」に該当するものというべきである。

本件補正の場合についてみると、本件補正によって付加された「不活性ガスで10~30%に希釈した後、」という構成要件が有する、三フッ化窒素ガスNF3を処理する場合の反応温度を制御するという目的が、出願公告明細書に記載された「有毒なNF3を無害なCF4とN2ガスに変換する」という本願発明の目的と直接的な関係がないことは明らかであり、また、上記目的に付随する副次的なものであるということもできないから、補正後の発明の上記目的は出願公告時の本願発明の目的とは異なる、新たなものというべきである。

上記のとおりであるから、「本件補正は明らかに発明の目的を異にする新たな構成要件を付加するものであるから、本件補正は特許請求の範囲を実質的に変更するものであ(る)」(甲第13号証3頁4行ないし7行)としてなされた本件補正却下の決定に誤りはない。

したがって、審決のした本願第1発明の要旨の認定についても誤りはない。

(3)  原告は、NF3を含む排ガスの濃度を10~30%にすることは本願発明の目的である「有毒なNF3を無害なCF4とN2ガスとに変換する」のに最適な条件を示しているのであって、本願発明と目的及び効果を異にするものではなく、本件補正は有毒なNF3を無害なCF4とN2ガスとに変換するのに最適な条件になるように補正したにすぎないから、特許請求の範囲を実質上変更するものではない旨主張するが、上記説示したところに加えて、「最適な条件を示している」ということ自体、新たに別個の目的を付加していることに他ならず、出願公告時の発明の目的と関わりのないことであるから、上記主張は採用できない。

(4)  上記のとおりであるから、本願第1発明の要旨認定に誤りがあることを前提として、審決には、相違点の看過、ひいて進歩性の判断に誤りがある旨の原告の主張は理由がないものというべきである。

以上のとおりであって、原告主張の取消事由は理由がない。

3  よって、原告の本訴請求は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濵崎浩一 裁判官 市川正巳)

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